◇2005.2.21◇

神奈川県平塚市の共済病院の受診日。
朝からタクシーに迎えに来てもらい、新大阪駅に行く。
関西テレビの取材スタッフも一緒に行く事になっていた。

今日は新大阪の対応が一段とよい。さすがにテレビカメラが一緒だと対応が違う。
いつもの駅員さんがスロープを用意してくれた。
私は、個室で横になって移動する。 そうしないと体は維持できないのだ。

人前では一生懸命に体を起しているが、本当は大変な事なのだ。
頭を支えているので精一杯です。体の痺れと上手にお付き合いする為には、出来るだけ楽にしているのが一番だと言う事は、充分承知しているつもりだ。 首からつま先まで痺れきっている。

疲労が蓄積されると、つま先から頭の先まで痺れきっている。
顔が痺れると我慢しているのを人に見せないようにする事の大変さ・・・

病院に行って入院仲間に合う。
集合すれば皆でいつもの場所で、笑っている。
体は故障しているが、心はいつも元気だ。そう誰よりも元気だと思う。

痛みや、しびれ、耳鳴り、痛みこれはどうせ24時間止まることはない。
それが私にとっては、普通の状態である。

皆と笑っていると、ますます元気が出てくる。
取材の方を意識すると、きっと別人のように見えるだろう。
私は皆さんには悪いけれど、透明人間にしてしまっている。
出来るだけ私の普通の状態を撮って欲しいのだ。

診察室に入り、先生に首が左右に90度廻るのをお見せした。
12月に来た時には、右がようやく廻るだけで左には廻らなかった。
いつも体ごと横を見ていた。でも、あまり周囲には気づかれていなかった。

3年前とは大きく違う。酸素ボンベを抱えて、息も絶え絶えに来た時とは違う。
先生も篠永先生以外は、全く信じられなくなっていた。
いろんな病院の医師に散々傷つけられてきた。
ある病院では、もうチョットのところで精神病院に送られるところだった。
そんな時でも、主人は黙って帰ろうとした。
私は、医師に「間違っています。今の言葉を取り消して、誤ってください。」と抗議した。
診断書がなかったので、病気とは思ってもらえなかった。

私は、絶対に診断書を頂くまでは、自殺はしない。と決めていた。
診断書を手にしたら、病気と認めてもらえるだろう。
それまでは、絶対に生き抜いてやる!と、私の意地っ張りがここまで頑張り抜けたと思う。

「プチハウスなな」  栂 紀久代
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